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雨月物語10.…

2007/03/12 16:19
さてこれでようやく最後になりました。……長かったな……(間を空け過ぎ)
では、現代語訳参ります。
 今は一夜で満願になるから、殊更慎んで、ようやく寅の刻の空も白々と明け渡ってきた。長い夢が覚めたように、すぐに彦六を呼ぶと、壁によって「どうした」と問う。「重い物忌みももう終わった。ずうっと兄の顔を見ていない。懐かしさに、この月の頃の憂さ、恐ろしさを心の限り言い慰めよう。眠りを覚まして下さい。我も外の方へ出よう」と言う。彦六は不注意な男であるから、「今となっては何事があろうか、何もあるまい。さぁこちらの家へ移って来なさい」と、戸を開けかけて半分も開けないうちに、となりの軒に「わぁっ」と叫ぶ声、鋭く聞こえてきて、思わず尻餅をついた。
 これは正太郎の身の上に何かあったと、斧を引っさげて大路に出れば、明けたといった夜ままだ暗く、月は中空にあり光がおぼろにかすんで風が冷ややかに、そうして正太郎の家の戸を開け放しても其の人は見えず、中に逃げ入ったのかと走り入って見たが、どこにも隠れるような住居もなければ、大路に倒れているのだろうかと探したけれど、其の辺りにはそれらしいものもない。どうなったのであろうかと、あるいは怪しみ、或は怖れながらも、灯を掲げてここかしこを見回っていると、明けた戸脇の壁に生々しい血がそそぎ流れて地に伝う。しかし屍も骨も見えない。月明かりに見れば、軒先にものがある。灯を掲げて照らし見ると、男の髪の髻ばかりがかかって、外には何一つなかった。浅ましくも恐ろしさは書きようもなかったという。夜も明けて、近い野山を探し回ったが、ついにその痕跡さえ見つけられないで終わった。この事を井沢の家に言い送ったら、しきりに涙を流して香央にも告げ知らせた。だから陰陽師の占いのあらかたなこと、御釜の凶祥も果たして真実であったことこそは、たいそう(世人は)語り伝えた。

……こう、何か、後の情景だけ書かれていて、その時の事が書かれていないのはいっそう怖さを引き立てますね……。
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雨月物語9.…

2007/03/10 18:30
大分間が開きましたが、後少しで終わりますので……。
では早速現代語訳。
 時が経って息を吹き返した。目を細く開いて見ると、家と見ていたものはもとあった荒野の御堂で、黒い仏だけが立っていらっしゃった。遠くの村里で吼えている犬の声を頼りに、家に走り帰って、彦六にこうこうだったといういきさつを語ったら、「なぁに狐に騙されたのだろう。心のおじけづいているときは大体人を惑わせるという神が襲うものである。そこもとのように弱っている人がこのように思い悩み沈むのは、神仏に祈って心を鎮めなさい。戸田の里に尊い陰陽師がいらっしゃる。禊をして御札を貰ってきなさい」と、さそって陰陽師の許へ行き、初めから詳しく語ってこれを占って欲しいと依頼した。陰陽師は占いを行って考えて言う。「厄はすでにせまって容易ではない。(それは)先に女の命を奪い、恨みはなお尽きない。あなたの命も今夜か明朝まで迫っている。この鬼が世を去ったのは七日前なので、今日から四十二日間、戸を閉めて厳重な物忌みをするべきだ。この戒めを守れば、十中八九までと死と決まったのを、逃れて生きることが出来ようか、多分出来るだろう。僅かな時間でも破ったならば、まぬがれる事は出来ない」とかたく教えて、筆をとって、正太郎の背から手足に及ぶまで、古代中国の字体のような文字を書く。さらに、朱で紙に書いた守り札をたくさん与え、「この御札を入り口の戸全部に貼り付けて、神仏に祈るべし。いましめにそむいて油断して身を滅ぼすこと無かれ」と教えるのを、怖れたり、一方では、喜んで家に帰って、朱符を門に貼り、窓に貼り、厳重な物忌みに籠もった。
 其の夜、子の刻の頃に恐ろしい声がして、「あぁ、憎らしい。ここに尊き御札がしてあるなぁ」と呟いて再び声がない。おそろしさのあまり(秋の)夜長に嘆いた。まもなく夜が明けたので生き返った思いで、急いで彦六の方の壁を叩いて夜の事を語る。彦六も初めは陰陽師の言葉を不思議であると思って、自分も其の夜は寝ずに子の刻を待ち暮らした。松をふく風物を倒すように、雨すら降ってただならない夜の様子に、壁を隔てて声をかけあい、既に丑の刻に至る。下屋の窓の紙にぱっと赤い光がさして、「あぁ、憎いなぁ。ここにも札が貼ってあるよ」と言う声、深い夜にはとても凄まじく、髪も産毛もことごとくそそけ立って、しばらくは気を失ってしまった。明けたら夜の様子を語り、暮れれば明けるのを待ち望んで、この月日頃、千年を過ごすよりも長いように思われた。かの鬼も夜ごとに家をめぐって、或は屋の棟に向かって叫び、怒れる声も夜ごとに凄くなった。こうして四十二日という其の夜に至った。

何か長いな……。
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雨月物語8.…

2007/02/26 18:29
最近、ほぼ隔日のような気がする、更新。
まぁ良いや(良いのか)と云う訳で(文の繋がりがありませんよ)、早速今日も現代語訳行きます。
 二町ほどを来て細い道がある。ここから一町ほど歩いて、うすぐらい林の裏に小さな茅葺屋根の家がある。竹の扉が侘びしく、上弦の月が明るく差し込んできて、せまい庭が荒れているのさえ見える。細い灯の光が障子越しに漏れ出てうら寂しい。「ここで待っていて下さい」と中に入った。苔がむした古井の傍に立って覗くと、唐紙の少し開いた間から、灯の光が風に吹き煽られて、黒棚が煌めいているのが奥床しく思われた。女が出てきて、「お訪ねの事を申したら、『入れなさい。几帳などを間に置いて物越しに語りましょう』と、端の方へ座り出ていらっしゃいます。あちらの部屋へお入り下さい」と、前栽を廻って奥の方へ連れ立っていく。二間の客殿を人が入れるほどにあけて、低い屏風を立て、古い衾の端に出て、主はここにいると見えた。正太郎は彼方に向かって、「御主人が亡くなられた御不幸の上に、病までもおかかりになったのこと。我も愛していた妻を失っておりまして、同じ悲しみを語り合いましょうと思って、しいて詣でました」と言う。主の女は、屏風を少し引き開けて、「まぁ不思議にも久し振りに御会いしましたね。つらい仕打ちに対しての報いをして差し上げましょう」と言うと、はっとして見れば、故郷に残した磯良であった。顔の色はたいそう蒼褪めて、だるそうな目付きも凄く、正太郎を指した手が青く痩せ細っている恐ろしさに、「あれえっ」と叫んで気絶した。

えーと、この磯良は既に死後……ですよね。多分。
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雨月物語7.…

2007/02/24 15:04
大阪から帰って来ました。歩いたので疲れたー……。
で、早速現代語訳行きます。
 正太郎今は臥してあの世を慕えども、招魂の法を求める方法もなく天を仰いで、故郷を思うと、かえって黄泉路よりも遠い心地にさせられて、前へも進めず、後へ帰る事も出来ず、昼は暇もなくずっと臥して、夕ごとには墓のもとに詣でてみれば、子草が早くも繁って、虫の声がわけも無く哀しい。この秋の寂しさはわが身の上に集まったと思い悩んでいると、天雲のそそにも同じ嘆きがあって、並んでいる新しい墓があった。ここに詣でた女が、世にも悲しそうな顔をして、花を手向け水を注いでいるのを見て、「何と可哀想に。若い女性がこのような人気のない荒野へ迷い出ていますよ」というと、女は振り返り見て、「私が夕ごとにお参りしますと、あなた様はかならず先に詣でなさる。別れがたい大事な御方とお別れなされたのでありましょう。御心を察し申し上げて悲しい」と、さめざめと泣く。正太郎言う、「その通りです。十日ばかり前に愛しい妻を失ったので、世に残る張り合いもありませんから、ここに詣でることを心の慰めにしているのです。あなた様もそうでいらっしゃいましょう」女言う、「このようにお参りしておりますのは、頼りとしていた主君のお墓であって、しかじかの日に此処に葬られなさる。家に残った奥方がたいへん嘆きなされて、この頃は重い病気におかかりになったので、このように代わって参らせて、香やお花をお供えしているのです」と言う。正太郎言う、「戸主の君が病まれるのもたいへんもっともなことですよ。その故人はどういう方で、家はどちらにお住まいなのでしょう」。女言う、「頼りにしていた主君は、この国では名家の人でしたが、人の讒言の所為で領地を失い、今はこの野原の隅に侘びしく住んでいらっしゃいます。女君は隣国まで評判の美しい女性ですが、この女主人の美しさ故に家所領も失くしなされました」と語る。この物語に心がひかれるともなくひかれて、「それにしてもその奥方の心細く御住みでいらっしゃる所は、ここの近くでしょうか、訪ね参って、同じ哀しみを語り慰めよう。御連れ下さい」と言う。「家は殿がいつも来られる道の少し横道へ入った方である。心細く不安でいらっしゃいますから、時々お訪ね下さい。待ちわびていらっしゃるものを」と、先に立って歩く。

この辺見ると、立ち直り早いって思いますねー(笑)
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雨月物語6.…

2007/02/22 21:56
相も変わらず早速現代語訳、行きます。
否、明日から泊り掛けで大阪へ行くので……。
 ここに播磨の国印南郡荒井の里に、彦六という男がいた。彼は袖と従兄弟という近い関係で、まず此処を訪ねて、しばらく逗留した。彦六、正太郎に向かって、「京だからといってどの人だって頼もしいという訳でもあるまい。ここに居るがいい。一つの椀の飯を分け合って、ともに生計の道を考えよう」と、頼りになる言葉に心が落ち着いて、ここに住もうと決めた。彦六は自分の家の隣になる荒屋を借りて二人を住まわせ、友を得たと喜んだ。ところが、袖、風邪気味だといって、至る所病みだして、つきものでもしたように気違いじみてきたので、ここに来て幾日もなく、この禍に掛かった悲しさで、(正太郎は)自分も食さえ忘れて介抱したけれど、ただ声をあげて泣くばかりで、苦しく辛抱出来なさそうで、正気づけばいつもと変わらない。生霊というものであろうか。故郷を捨て磯良がたたるのかと一人胸苦しい。彦六はこれを諌めて、「どうしてそんなことがあろうか。流行病というものの苦しさは沢山見てきた。熱気が少し冷めた時には、さっぱり忘れたようになるでしょう」と、気安く言うのが頼りであった。(けれども)みるみる内に回復の兆もなく、七日で死んでしまった。空を仰ぎ、地を叩いて泣き悲しみ、共に死のうと正気を失っているのを、(彦六は)様々に言って慰めて、「このままにしておけない」と、しまいに火葬にした。骨を拾い墓を築き卒塔婆を立て、僧を迎えて死後の冥福をまごころこめて祈った。

もうそろそろで終わりそうかなー……。
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雨月物語5.…

2007/02/19 17:34
今日は(も?)やる気しないので、早速現代語訳いきます。
 ある日父がいない時に、正太郎は磯良をうまくまるめこみ相談して言う、「そなたの誠実な面を見て、今は自分の身の罪を後悔するばかりだ。かの女も故郷に送ったあと、父の怒りを和らげ奉ろう。彼女は播磨の印南野の者であるが、親もいない身でみじめに生きているのを、とても悲しく思って情をかけてしまった。我に捨てられたのなら、また港町の遊女となるだろう。同じ卑しい仕事をしても、京は人の情もあると聞くので、彼女を京に送ってやって、身分のある立派な人に使えさせたく思うのだ。我がこのように押し込められているので、彼女は、きっと何事にも不自由していることであろう。旅費や衣服もいったい誰が与えてくれるだろうか。そなたがよく工面して彼女を恵んでください」と、丁寧に頼んだので、磯良はたいへん嬉しく、「この事は御安心なさいませ」と、密かに自分の衣服調度を金にして、さらに香央の母のもとへ偽って金を請うて、正太郎に与えた。(正太郎は)この金を得て密かに家を逃れ出て、袖を伴って、京の方に逃げ昇った。(磯良は)これほどだまされたから、今は一途に怨み嘆いて、遂に重い病に臥してしまった。井沢・香央の人々、正太郎を憎み、磯良を哀れんで、しばしば医療で回復を望んだが、食べ物すら日ごとにとれなくなって、万事につけてもはや最後であると見えた。

あー……携帯、早く返って来ないかぁー……。
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雨月物語4.…

2007/02/13 15:52
早速現代語訳行きます。
 香央の娘磯良、先方に行ってから、早くに起き、遅くに寝て、いつも舅姑の傍を去らず、夫の性質をよく考えて、心を尽くして仕えていたので、井沢夫婦は嫁の孝行と貞節に感心して、喜び絶え間なく、正太郎も妻の志を愛でて、仲良く語らった。しかし生まれつきの放蕩の性質はどうにもならなかった。いつのころからか、鞆の津の袖という遊女に深く入れ込み、遂に金で請け出し、近い里に別荘をこしらえて、そちらで日をかさねて家に帰らない。磯良これを怨んで、或は舅姑の怒りにかこつけて諌め、或は浮気心を怨み嘆いても、上の空に聞き流して、あとは幾月も渡って帰らない。父は磯良のひたすらな振る舞いを見るに忍びず、正太郎を責めて監禁した。磯良はこれを悲しんで、朝夕の奉仕をことに丁寧に、また、袖の方にもひそかに物を送って、誠心誠意を尽くした。

……あぁ、何かゲームもしたいし小説も書きたいし本も読みたいし、でも時間が中途半端だし……何か如何にかならないかな(他力本願)
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雨月物語3.…

2007/02/10 19:59
一週間以内には終わりそうです。
今日もまたチャットやってきます(笑)
では現代語訳、行きます。
 なお、幸を神に祈ろうと、巫子祝部を召し集めて、湯立ての占いをした。そもそも当社に祈誓する人は、さまざまな供物を供えて御湯を奉り、吉祥凶祥を占う。巫子祝詞をはり、湯が湧き上がるのをおよんで、吉祥には釜が鳴る音牛が吼えるが如し。凶事は釜に音なし。これを吉備津の御釜祓という。ところが香央の家のことは、神の御受納にならなかったのか、まったく虫が叢に集まり鳴くほどの声も無い。ここに疑いをおこして、このしるしを妻と相談した。妻は少しも疑わず、「御釜の音がないのは、祝部等の身が清潔でなかったからでしょう。もうしるしを納めた上、かの夫婦の縁を結んだ上は、仇敵の家、異なる国であっても変えられないと聞いておりますものを。ことに井沢は、武家の子孫であって、厳格な家と聞くので、今否と承知しますまい。ことに婿となる人が美男であるのを伝え聞いて、わが子も(婚礼までの)日数を数えて待ちわびていますのに、今の良くない言を聞くものならば、思いがけない短慮なことをしでかしましょう。その時を悔やむと(もとに)かえられません」と、言葉を尽くして諌めるのは、本当に女らしい心遣いであろう。香央ももとから願う縁談だから深く疑わないで、妻の言葉に従って、婚儀を用意して、両家の親族氏族、夫婦の縁の行き先が長いことを祝った。

コレが終わったら、お題も再開したいと思いつつ。ネットマナーについて語りたいよ色々と。
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雨月物語2.…

2007/02/09 20:21
山場は過ぎましたが、今日は更新する気力が無いので……。
現代語訳のみ、行きます。
 吉備の国の加夜郡庭妹の郷に、井沢庄太夫というものがいた。先祖は播磨の赤松に仕えていたが、さる嘉吉の乱に、かの館を去って此処に来て、庄太夫にいたるまで三代を得て、春は耕し、秋は収穫して、家は豊かに暮らしていた。一子正太郎というものは、農業を嫌うあまり、酒に溺れて女に走って、父の戒めを守らない。父母はこれを嘆いて内々で相談したのは、「どうかして家柄の良い娘で美人な者を娶ったら、息子も自然と(酒と女を)慎むだろう」と、のこる所なく国中を探していると、幸いに媒酌人がいて言う、「吉備津の神主香央造酒の娘は、生まれつき優雅で、父母にもよく尽くし、かつ歌を読み、琴が上手である。元々かの家は鴨別命の末裔で家柄も正しいので、君の家と縁を結べば、きっとめでたい験となるだろう。この縁談の成立はこの老人の望みです。人の御心をどう御考えか」という。庄太夫は大いに喜んで、「よくもまぁ御話下さいましたものですね。この事を我が家にとって家運長久の方法だといっても、香央はこの国の貴族で、我は氏のない田舎者である。家柄が釣り合わないから、おそらく承らないでしょう」。仲立ちの翁は笑みを作って、「人はご謙遜が過ぎる。我は必ずまとめましょう」と、言って香央に説けば、あちらもしきりに喜んで、妻なるものにも相談したところ、妻も喜んで言う、「我が娘はすでに十七歳になって、朝夕良い人がいないものか、娶らせようと、気も休まりませんでした。早く日を選んで結納をいれましょう」と、強く勧めたので、盟約はもう成って、井沢に返事をする。ただちに結納の品々を立派にそろえて送りいれ、良い日を選んで、結婚式をあげる準備をした。

眠い……(台無し)
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雨月物語1.…

2007/02/07 19:51
時間が無いので、暫くは溜めていたヤツを消化します。
相変わらず現代語訳のみですが。
「嫉妬深い妻は扱い難いけれども、年老いてからその値打ちがわかる」と。ああ、一体誰が、そんなことを言ったのか。害の軽いものでさえ、家業を妨げ物を壊して、垣の隣の悪口は止めにくく、害の大きいものに及んでは、家を失い国を滅ぼして、天下の笑い者となる。古くからこの毒にあたった人は、どれほどという事を知らない。死んで蛟龍となり、あるいは激しい雷を奮って恨みを報う類は、妻の肉を塩辛にしたところで飽き足りない。しかし、そのような例は稀である。夫が自分の行いをよく弁えて(妻を)教育すれば、この害を自然と避けることができるものを、ちょっとした浮気から、女の拗けた性質を募らせて、わが身の憂いを自ら招いてしまうのである。「小鳥の飛ぶ自由を押さえて動けなくするのは、人間の気合による。女を上手く扱うのは、その夫の男らしさにある」というのは、本当にもっともなことである。

最初はこれだけ……五回くらいに分けます。
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タイトル 日 時
堤中納言物語「このついで」1.…
久々古典カテゴリ。やる気がありません(オイ) ……うん、駄目だな。何か……調子が悪い……。と云う訳で、少しずつ行きます。 で、現代語訳。 (女御が)春のものと、(春雨を)物思わしげに見やっていらっしゃる昼の頃、台盤所にいる人々が、「宰相中将が、いらっしゃった。いつもの御匂い、とてもはっきり」などと云う時に、(宰相中将が)跪きなさって、「昨夜から父君の邸宅に仕えていたときに、そのまま、御使いになった。(父君が)東の対の紅梅のしたに埋めなさった薫物、今日の物寂しさに、おためしになると女御にも持... ...続きを見る

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2006/12/19 17:40
落窪物語「暗うなるままに、…」〜
最近多くなった古典カテゴリ。 早速現代語訳、行きます。  暗くなるにつれて、雨が折悪しく降りまさり、頭を差し出す事も出来ない。道頼、帯刀に語りなさる、「残念なことに、姫君のもとには行けそうに無い。この雨だ」とのたまうと、「通いそめて早々訪ねないで先方に悪うございましょう。とは申しますものの、折悪しく降る雨は、どうしようか。心の怠慢から訪問なさらぬのならともかく。その旨の御手紙なりとお遣わしなさいませ」と、顔付きはとても辛そうだ。「確かにそうだ」と、書きなさる。「早く参上しようとしていた時に、... ...続きを見る

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2006/11/13 19:52
源氏物語「この人亡せ給はば、〜」…
確か……「若菜」の下、だったような。 早速現代語訳行きます。  この方が亡くなられたら、院(源氏)も、きっと御出家の本意を遂げなさるだろうと、大将の君も、真心をこめて御世話差し上げる。御修法などは、普通に行うものはもとより、特別に選んでさせなさる。少しでも意識がはっきりしている時には、「お願い申し上げていることを、お許しなく辛くて」とだけお恨み申し上げなさるが、寿命が尽きてお別れなさるよりも、目の前でご自分の意志で出家なさるご様子を見ては、ほんの少しの間でも耐えられず、惜しく辛い気がしないで... ...続きを見る

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2006/11/08 22:09
源氏物語「先の世にも〜」…
前回の続き。「桐壺」です。 では、早速現代語訳行きます。  前世からの、ご宿縁も深かったのであろうか、またとなく美しい男の子さえ生まれました。(帝は)まだかまだかと待ち遠しく御思いになって、急ぎ宮中に参上させて御覧ざられると、たぐいまでな若宮の御容貌だった。第一皇子は右大臣の姫の女御が御生みになった方で、後見がしっかりしていて、疑いない皇太子と、世間では大切に御扱い申すけど、この皇子の照り映える美しさには並ばれるまでもないので、(帝は)第一皇子を一通り大切においつくしみなさるだけで、この君を... ...続きを見る

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2006/11/01 22:02
源氏物語「いづれの御時にか〜」…
「桐壺」より。久々古典カテゴリ。学校図書館なので長くは出来ませんが。 やはり現代語訳のみ、責任は一切持ちません。 では、現代語訳。  何と申す天皇の御代であったか、女御、更衣が沢山仕えなさる中に、それほど高い身分ではないが、誰よりも御寵愛する方があった。最初から我こそはと思い上がられる女御たちは、けしからぬ人だと蔑み妬みなさる。同じ時、それより下臈の更衣たちは、まして心穏やかでない。朝夕の宮仕えにしても、妃たちの嫉妬をかきたて、恨みを受けることが降り積もった所為だろうか、とても病気がちにな... ...続きを見る

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2006/10/30 21:28
宇治拾遺物語「清明、蔵人の少将封ずる事」…
今日は他事をやろうと思っていたのですが、謎のコメント郡の処理の所為で別口を……。 何であそこなんだろうか……別に問題のありそうなものはなかったと思うのだけどな……。 では現代語訳。  昔、清明が、陣の座に参った時に、威勢よく先払いさせて、殿上人が参ったのを見たら、蔵人の少将で、まだ若く美しい人が、顔かたちは本当に整っているのが、車から降りて、内裏に参ったときに、この少将の上を、烏が飛んで通ったのだが、糞を仕掛けたのを、きっと見て、ああ、世間でも受け入れられ、年なども若くて、顔かたちもよい人... ...続きを見る

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2006/08/21 18:30
宇治拾遺物語「修行者、百鬼夜行にあふ事」…
最近、書く気が起きないので古典続きです。 では、現代語訳。  今は昔、修行者がいたが、津の国まで行った時に、日が暮れて、龍泉寺という、大きな寺で古ぼけていて、人も無いものがあった。これは、人の住まないところであるが、その辺りに、他に泊まれるような所も無かったので、如何しようも無いと思って、笈を下ろして、中に入って座っていた。  不動明王の呪文を唱えていると、夜中ごろになっただろうかと思う時分に、人々の声が沢山聞こえて、来る音がするようである。見れば、手に火を灯して、百人ばかりが(百鬼夜行を... ...続きを見る

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2006/08/07 17:37
蜻蛉日記「三月二十五〜」…
面倒なので、早速現代語訳行きます。  三月二十五、六日の時に、西ノ宮の左大臣が配流なされた。その模様を拝見しようというので、世間は上を下への大騒ぎで、西ノ宮へ、人は走り惑う。とても並々でないことだなぁと聞くと、(左大臣殿は)人に姿もお見せにならないで、逃げ出される。愛宕山へ、清水へ、などと騒ぎ立てて、とうとう探し出して、配流なさると聞くと、たまらないと思うほどとても悲しく、世情に疎い者でさえ、このように情味を解し、分別のある人は涙を流さない仲間はいなかった。(左大臣殿の)沢山の御子たちも、辺鄙... ...続きを見る

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2006/08/06 23:03
更級日記「門出したる所は〜」…
です。久々……。 時間無いのでさっさと現代語訳行きます。  門出した所は、塀とか垣根とかもなくて、ほんの間に合わせの萱葺きの家で、雨戸などもない。(わずかに)簾かけ、幕などが引いてあるきりだ。南は遠く野末までも眺望できる。東西は海に近くて実によい景色である。夕霧があたり一面に立ち込めて情趣深く、なかなか眠りにつけないで、あちこち眺め眺め、ここをたつことをしみじみと悲しく、同じ月の十五日、空も暗鬱などしゃ降りの雨の中を、国境を出て、下総の国のいかだという所にとまった。庵なども浮いてしまいそうな... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2006/08/01 19:11
宇治拾遺物語「業遠朝臣、蘇生の事」…
全然勉強出来ていません。……如何したものか……。 早速現代語訳行きます。  これも今は昔、業遠朝臣が死んでしまった時、藤原道長殿が仰られたのは、「言っておくべきことがあったのだろうよ。かわいそうな事だ」と、解脱寺の観修僧正を召して、業遠の家に向かいなさって、加持をする間、死人は、たちまち生き返って、用事を言った後、また目を閉じたという。 短いですが……。と云うか、怖いからー……。 ...続きを見る

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2006/07/30 18:08
宇治拾遺物語「藤六の事」…
昨日は寝てしまった為ありませんでした。……この先多くなるかもしれません。 では、早速現代語訳行きますか。  今は昔、藤六という歌詠みがいた。身分の低い者の家に入って、人もいない時を見つけて、入った。鍋に煮た物を掬って食べていると、家の主の女が、水を汲んで、大路の方から来てみれば、このように掬い喰えば、「何だって、このような人もいない所に入って、このように煮ている物を召し上がるのか。ああひどいことだ、藤六でいらっしゃったのか。それでは、歌を詠んで下さい」と言ったので、   昔より 阿弥陀仏の... ...続きを見る

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2006/07/29 17:50
蜻蛉日記「かくて忌果てぬれば〜」…
実際には違いますが。蜻蛉……と書いて、いつも「トンボ」と読む自分。否、合っているのですけどね、一応……。 では、現代語訳。  このように忌が終わったので、もとの家に行って、今まで以上に人の出入りも多い。長雨の季節になったので、草が固まって生えているのを、勤行の合間に、掘って株分けさせたりした。  あきれたあの人が、門の前を通って、いつものように派手に先払いをしながら、行く日だ。勤行をしていると、「お越しです」と騒ぎ立てるので、例によって素通りだろうとは思いながらも、胸をどきどきさせていたの... ...続きを見る

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2006/07/27 18:08
源氏物語「上は、夢のやうに〜」…
薄雲の所です。源氏物語は長いから全部把握し切れない……だからよく出るのですけれどねー……。 では、現代語訳行きます。  帝は、夢のように悲しく恐ろしい事を聞きあそばれて、色々とお悩みあそばされる。亡き桐壺院の御事をお思い申しても気に掛かることであるし、源氏の大臣がこうして臣下として仕えていられるのも、おいたわしく畏れ多いことであったと、あれこれお思い悩んで、日の高くなるまで夜の御殿から出御あそばれぬので、しかじかと聞きなさって、大臣もはっとして参上なさったのを(帝は)御覧になさっても、いよい... ...続きを見る

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2006/07/26 17:39
和泉式部日記「夢よりも儚き〜」…
リクがあったので……昨日は雨が降って外出できませんでした。雨が降ると身動き出来ないのです……。 では、現代語訳を早速……。  儚いものの中でも最も儚いと云うあの夢よりも儚かったあの方との関係と、嘆き哀しみながら毎日を過ごしているうちに、四月の中旬になったので、木陰がうっそうとして明るくなってゆく。築土(泥土を盛って築いた塀)の上の草が青くなっているのも、人はとりたてて目に留めないのを、しみじみと感慨にふけりながら見ていると、近い透垣の所に人の気配がしたので、誰だろうと思ったら、故為尊親王に仕... ...続きを見る

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2006/07/25 17:49
宇治拾遺物語「木こり歌の事」…
今回は少し短いです。 ……と云うか、雨で外出出来ない……。 では、現代語訳。  今は昔、木こりが、山番に手斧を取られて、つらい、情けないと思って、頬杖をついていた。山番が見て、「それ相応の事をしろ。(そうすれば)返してやろう」と言ったので、   あしきだに なきはわりなき 世の中に よきをとられて われいかにせむ (悪いものでさえないのは、困る世の中であるのに、よいもの(斧)をとられて、自分はどうしようか) と詠んだなら、山番は、返歌をしようと思って、「うう、うう」と呻いたけれど、何... ...続きを見る

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2006/07/24 18:25
無名草子「いとめでたきこと」…
実際には違うと思いますが。久々古典カテゴリ。今日から八月中は古典カテゴリが多くなります。勉強代わりにしていますから。現代語訳のみですが。 本当は源氏物語をやりたかったのですが、借りられていたので……。 では、現代語訳。 「この世にどうしてこのようなことがあったのだろうと、すばらしいことに思えるのは、手紙でしょうね。『枕草子』に(手紙の事は)かえすがえす申しているようですから、事新しく申し上げるには及ばないが、なお一層心打たれるものですね。遠い土地に離れ住んでいて、何年も逢い見ない人であって... ...続きを見る

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2006/07/23 11:14
古本説話集「長能・道済事」…
懲りずに再びやっつけ仕事。……何なんだ自分。 あー、もうすぐテスト週間に入ってしまう……。 では内容参ります。  今は昔、長能、道済という歌人が、たいへん競い合って歌を詠んでいた。長能は、蜻蛉日記を書いた人の弟で、先祖代々からの歌の家柄の歌人、道済は、信明という歌人の孫で、たいそう競い合っているので、鷹狩の歌を、二人が詠むと、長能は、   あられ降る 交野の御野の 狩衣 ぬれぬ宿かす 人しなければ (霰が降る交野の狩り場では蓑を借りる事も出来ず、狩衣がすっかり濡れてしまった。濡れないよ... ...続きを見る

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2006/06/17 16:12
紫式部日記「上に参りたまひて〜」…
実際は違います。今回もやっつけ仕事。じ、実は某所にて、ブロック崩しにはまってしまい……(汗) すみませんっ、かなり適当です……。  (殿上人などが)清涼殿に参上なさって、主上は、殿上の間にお出でになさって、管絃の御遊があった。殿(道長)、(酒宴と御遊の事があり)酔いなさっていた。(私は)面倒な事だと思って、隠れていたのに、「何故、父上(為時)の、御前の御遊を御呼びに寄せになって、お仕えしないで、退出してしまったのか。ひねくれている」など、御機嫌を損ねていらっしゃる。「(父の罪が)勘弁してもら... ...続きを見る

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2006/06/16 19:58
大鏡「巻末」…
しつこいようですが、実際は違います。 早速原文。  かやうなる嫗・翁なんどの古言するは、いとうるさく、聞かまうきやうにこそおぼゆるに、これはただ昔に立ち返りあひたる心地して、またまたも言へかし、さしいらへごと・間はまほしきこと多く、心もとなきに、「講師おはしにたり」と、立ち騒ぎののしりしほどに、かきさましてしかば、いと口惜しく、事果てなむに、人つけて、家はいづこぞと見せむと思ひしも、講のなからばかりがほどに、そのこととなく、とよみとて、かいののしり出できて、居籠めたりつる人も、みなくづれ出づ... ...続きを見る

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2006/06/10 18:06
源氏物語手習「夢のやうなる〜」…
途中からではありますが……一応。再びやっつけ仕事っぽく。 今回は面倒臭いので現代語訳のみです。 えっと、尼が助けた浮舟に色々問い掛けたりしている所。 では、現代語訳。  思いもかけぬ人をお世話することになったものだ、と妹尼君は喜んで、無理に床の上に座らせては、御髪に自分から櫛をお入れになる。あれほど酷い状態で(髪を)引き結んで枕上に投げ出してあったのだが、ひどくもつれてもいなくて、すき終わってみると、つやつやとして見事な髪だ。白髪の年老いた者ばかりが住む所なので、眩しいほどに、素晴らしい... ...続きを見る

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2006/06/09 17:54
大鏡「鶯宿梅」…
否、まぁ、実際は違いますが……と云うか、コレ学校のノートに写さなきゃな……(苦笑) では、早速原文。 「いとをかしうあはれにはべりしことは、この天暦の御時に、清涼殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせたまひしに、なにがしぬしの、蔵人にていますがりしとき、承りて、『若き者どのはえ見知らじ。きむじ求めよ』とのたまひしかば、一京まかり歩きしかども、侍らざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の、様体うつくしきが侍りしを、掘りとりしかば、家あるじの、『木にこれ結ひつけて持て参れ』と言... ...続きを見る

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2006/06/08 20:15
大鏡「女院と道長」…
はい、やっぱり詳しくは違いますが。 あと少し……二個分……。他のもやってみたいと思いつつ、やらないのがこの自分。 ともかく、まず原文。  女院は、入道殿をとりわきたてまつらせたまひて、いみじう思まうさせたまへりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせたまへりけり。帝、皇后の宮をねんごろに時めかせたまふゆかりに、師殿は明け暮れ御前に候はせたまひて、入道殿をばさらにも申さず。女院をもよからず、事にふれて申させたまふを、おのづから心得やせさせたまひけむ、いと本意なきことに思しめしける、ことわえりなり... ...続きを見る

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2006/06/07 16:52
大鏡「競射」…
はい、しつこいようですが、実際は違いますから。 ……それにしても、「堀河殿、最後の参内」が抜けているのは如何云う事だ。この部分が出ない事を祈るしかないな……。 では、原文。  師殿の南院にて、人々集めて弓遊ばししに、この殿渡らせたまへれば、思ひがけずあやしと、中の関白殿思し驚きて、いみじう饗応しまうさせたまうて、下臈におはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせたまひけるに、師殿、矢数いま二つ劣りたまひぬ。中の関白殿、また御前に候ふ人々も、「いま二度延べさせたまへ」と申して、... ...続きを見る

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2006/06/06 16:49
大鏡「影をば踏まで〜」…
はい、実際は違いますよ。 本当は違うのを書きたかったのですが、何故か記述が見付からず……。おかしいなぁ。 では早速原文から。  四条の大納言のかく何事もすぐれ、めでたくおはしますを、大入道殿、「いかでかからむ。うらやましくもあるかな。わが子どもの、影だに踏むべくもあらぬこそ口惜しけれ」と申させたまひければ、中の関白殿・粟田殿などは、げにさもとや思すらむと、恥づかしげなる御けしきにて、ものものたまはぬに、この入道殿は、いと若くおはします御身にて、「影をば踏まで、面をや踏まぬ」とこそ仰せられけ... ...続きを見る

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2006/06/05 18:15
大鏡「宣耀殿の女御」…
否、実際は違いますけどね(苦笑)教科書に載っている分だけ……。 では早速原文です。  御女、村上の御時の宣耀殿の女御、かたちをかしげにうつくしうおはしけり。内へ参りたまふとて、御車に奉りたまひければ、わが御身は乗りたまひけれど、御髪のすそは、母屋の柱のもとにぞおはしける。一筋を陸奥紙に置きたるに、いかにもすき見えずとぞ申し伝へためる。御目のしりの少し下がりたまへるが、いとどらうたくおはするを、帝、いとかしこく時めかさせたまひて、かく仰せられけるとか、   生きての世 死にての後の 後の世も... ...続きを見る

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2006/06/04 18:14
大鏡「素腹の后」…
否、実際は違いますよ。大臣列伝「太政大臣頼忠 廉義公」です。 ……まぁ、学校でね……(目を逸らす) では、早速原文。  この大納言、無心のこと一度ぞのたまへるや。御妹の四条の宮の后に立ち給ひて、初めて入内したまふに、洞院のぼりにおはしませば、東四条の前を渡らせたまふに、大入道殿も、故女院も胸痛く思しめしけるに、按察大納言は后の御せうとにて、御心地よく思されけるままに、御馬をひかえて、「この女御は、いつか后には立ちたまふらむ」と、うち見入れてのたまへりけるを、殿を始めたてまつりて、その御族や... ...続きを見る

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2006/06/03 18:37
大和物語「泉の大将〜」…
正式名称は知りません(オイ)急遽やった為、いつもよりかなり適当……。 しかも参考文献が物凄く古いです。大和物語ってそんなに重要じゃないのかなぁ……。 では、まず原文。  泉の大将、故左のおほいどのにまうでたまへけり。ほかにて酒などまいり、酔ひて、夜いたく更けてゆくりもなく物したまへり。おとどおどろき給ひて、「いづくに物したまへる便りにかあらむ」など聞こえ給ひて、御格子あげさはぐに、壬生忠岑御供にあり。御階のもとに、まつともしながらひざまづきて、御消息申す。 「『かささぎの 渡せるはしの ... ...続きを見る

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2006/05/12 18:25
大鏡昔物語「延喜の御時に〜」…
「延喜の御時に、「古今」抄ぜられし折…」です。えーと、コメントでゆみ様より要請がありましたので、掲載致します。……期待はしない方が良いです。凄く眠い時にやったので……と云うより、この部分で良かったのでしょうか……。 では、原文。  延喜の御時に、「古今」抄ぜられし折、貫之はさらなり、忠岑や躬恒などは、御書所に召されてさぶらひけるほどに、四月二日なりしかば、まだ忍び音のころに、いみじく興じおはします。貫之召し出でて、歌仕うまつらしめたまへり。   こと夏は いかが啼きけむ 時鳥 この宵ばかり... ...続きを見る

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2006/05/05 16:50
大鏡大臣列伝「右大臣良相」…
これはそのまま、「右大臣良相」ですね。一応、コレで一旦打ち止めです。 では、さっさと原文。 右大臣良相  このおとどは、冬嗣のおとどの五郎。御母は白川の大臣に同じ。大臣の位にて十一年。贈正一位。「西三条の大臣」と申す。浄蔵定額を御祈りの師にておはす。千手陀羅尼の験徳蒙りたまへる人なり。この大臣の御女子の御事よく知らず。一人ぞ水尾の御時の女御。男子は、大納言常行卿ときこえし。御子二人おはせしも、五位にて、典薬助、主殿頭など言ひて、いと浅くて止みたまひにき。「かくばかり末栄えたまひける中納言殿... ...続きを見る

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2006/05/02 18:12
大鏡大臣列伝「藤原冬嗣」…
厳密には「左大臣藤原冬嗣」です。また古典カテゴリ。まー、今予定している限りではあと一回なので付き合ってやって下さい……。 では、原文。 左大臣藤原冬嗣  このおとどは、内麿のおとどの三郎。御母、正六位上飛鳥部奈止麿の娘なり。公卿にて十六年、大臣の位にて六年。田邑の御祖父におはします。かるが故に、嘉祥三年庚午七月十七日、贈太政大臣になりたまへり。「閑院の大臣」と申す。このおとどは、大方男子十一人おはしたるなり。されど、くだくだしき女子たちなどの事は、委しく知り侍らず。但し、田邑の帝の御母后、... ...続きを見る

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2006/05/01 19:32
大鏡帝王本紀「五十六代…」
「清和天皇」です。そろそろオフの方の作品を書こうかと画策中……で、設定決めしないといけない……。明日辺りに纏めて出すかもしれません。 そんな事は置いておき、原文。  五十六代 清和天皇  次の帝、「清和天皇」と申しけり。文徳天皇の第四皇子なり。御母、皇太后宮明子と申しき。太政大臣良房のおとどの御むすめなり。この帝、嘉祥三年庚午三月二十五日に、母方の御祖父、おほきおとどの小一条の家にて、父帝の位に即かせたまへる五月といふ日、むまれたまへりけむこそ、いかに折さへ華やかにめでたかりけむと覚え侍れ... ...続きを見る

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2006/04/27 18:09
大鏡帝王本紀「六十三代…」
「冷泉院」です。……今回は短いですが……長い文章は……和訳だけしか書かないでおこうかな……もしくは、何日に分けるとか。 ……と云うか此処のブログ、古典尽くめになりそう……勉強代わりだからな、コレ……。 では、原文行きます。  六十三代 冷泉院  次の帝、「冷泉院天皇」と申しき。これ、村上天皇の第二の皇子なり。御母、「皇后宮安子」と申す。右大臣師輔のおとどの第一の御むすめなり。この帝、天暦四年庚戌五月二十四日、在衡のおとどの未だ従五位にて、備前介ときこえける折の五条の家にて、むまれさせたま... ...続きを見る

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2006/04/26 19:34
大鏡帝王本紀「六十代…」
「醍醐天皇」、です。色々間が開いているのは、短いのから優先している為。今回は和歌が入っていますが、面倒なので翻訳は書きません。……まぁ、たぶんわかるだろう……。 では、原文。  六十代 醍醐天皇  次の帝、「醍醐天皇」と申しき。これ、亭子太上法皇の第一の皇子におはします。御母、「皇太后宮胤子」と申しき。内大臣藤原高藤のおとどの御むすめなり。この帝、仁和元年乙巳正月十八日にむまれたまふ。寛平五年四月十四日、東宮に立たせたまふ。御年九歳。同じ七年正月十九日、十一歳にて御元服。また同じ九年丁巳七... ...続きを見る

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2006/04/25 19:17
大鏡帝王本紀「五十五代…」
「文徳天皇」……です。えぇ、久々に古典カテゴリ。ちょっと自主鍛錬でも。 やはり和訳は責任持ちません。多分どっか間違っていると思う。……まぁ、誰も参考になんぞしないから良いだろう……。 では、まず原文から。  五十五代 文徳天皇  「文徳天皇」と申しける帝は、仁明天皇御第一の皇子なり。御母、「太皇太后宮藤原順子」と申しき。その后、左大臣贈正一位太政大臣冬嗣のおとどの御むすめなり。この帝、天長四年丁未八月にむまれたまひて、御心明らかに、よく人を知ろしめりせり。承和九年壬戌二月二十六日に御元服... ...続きを見る

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2006/04/24 18:09
更級日記一「あづま路の〜」…
久々だなぁ、古典カテゴリ。……ええ、まぁ、また課題で。もっとも、この最初のくだりだけなのだが。 あとは漢文が二つほど出ているのだけども……勝手に原文書いて良いのかな?中国からクレーム来ないだろうか(酷) ……と云うか、何か古文カテゴリだけ、妙にアクセスがあるのだけど……何、カンニングか?否、まあ……別に良いのだけど。自分も同じようなものだから。「この古典の○節を現代語訳してくれ」っていうのがあったら、一応請け負うので。出来は保証しないが。ちなみに、参考は「新潮日本古典集成」から。 では、「... ...続きを見る

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2006/01/16 19:02
徒然草百八十四段…
「相模守時頼〜」ですな。 昨日は緊急メンテとうっかり寝てしまった為、無し。地獄前なのに良いのかオイ…。 では、原文。  相模時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるる事ありけるに、すすけたる明り障子の破ればかりを、禅尼手づから小刀して切りまはしつつ張られければ、兄の城介義景、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、なにがし男に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候」と申されければ、「その男、尼が細工によもまさり侍らじ」とて、なほ一間づつ張られけるを、義景、「皆を張りかへ候はん... ...続きを見る

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2005/11/24 19:38
徒然草一五五段…
「世に従はん〜」ですな。…ああ、そういえばサーバーメンテナンスがあったので、コメントやらが出来なかった模様。…どうせコメント貰えないブログサイトだけどさ。 …気を取り直し、まずは原文から。  世にしたがはん人は、まづ機嫌を知るべし。ついで悪しき事は、人の耳にもさかひ、心にもたがひて、その事成らず。さやうの折節を心得べきなり。ただし、病を受け。子生み、死ぬることのみ、機嫌をはからず、ついで悪しとて止むことなし。生・住・異・滅の移り変る実の大事は、たけき河のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず... ...続きを見る

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2005/11/22 22:10
徒然草一四一段…
「悲田院〜」、ですな、今日は。地獄終わって、暇があったら他のもやってみたいと思うけど…多分無理だな、うん。 では、原文。  悲田院堯蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、双なき武者なり。故郷の人の来たりて物語すとて、「吾妻人こそ言ひつる事は頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、実なし」といひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しく住みて、なれて見待るに、人の心劣れりとは思ひ待らず。なべて、心柔らかに情けある故に、人の言ふほどの事、けやけく否びがたくて、よろづえ言ひ放たず、... ...続きを見る

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2005/11/21 18:04
徒然草一三七段…
「花はさかりに〜」……。あ、否、もうすぐ地獄が近いので、此処で勉強としてメモっとこうかと…。…まあ、 自分の期末範囲だけだけども。 原文は著作権無いからそのままとして…和訳は、一応自分でしています。辞書引きながら。なので、何処か間違っていても責任持たない。 参考は新潮日本古典集成から。 で、まずは原文。  花はさかりに、月はくまなくをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多け... ...続きを見る

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2005/11/20 14:23

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